無職でどこまで生活できるかブログに残してみたら?

無職生活3年目どこまで無職のまま生活できるかブログに残していく

「95年経て考える差別」の疑問点 毎日新聞2018/9/12夕刊 特集ワイドより

正直なところ、殺された人がいるかも(要はデマは全部が全部デマなの?もふくめてだが)は、証拠や発言がなかろうとあったかもしれないが、真偽不明のものまで「否定の動き、ヘイトスピーチ続く中」などと、最近話題の問題とともにデマが確定しているかのように記事にするのは違和感がある。

 

安全が保証されているはずの署内で起きた「藤岡事件」は、「藤岡市史」や「群馬県警史」などにも記録が残る

今現在でも改ざんが話題になるのに、95年前のことが書かれたとされるものが事実であるという証拠はあるのだろうか

 

竹やりで刺されて殺害された、と伝えられているが、事件の発生日や場所などの詳細は不明だ。

伝聞を証拠として事実として確定してしまっていいのか…

 

数千人が犠牲になったが、多くの事実は埋もれたままとなっている

震災により亡くなった人や、デマじゃないものも含めてしまっていないだろうか…

 

慰安婦の数十万人とかの話でもそうなんですが、そんだけ犠牲者がいたんなら抵抗した形跡もあると思うが、そういう内容も一緒に書かないのはなぜだろうか?

そういう資料とやらには記載があるのかな。

誰かが徒党を組んで殺そうとしてきたなら、反撃する人たちが出てきてもおかしくないと思うが…

 

全部が本当、全部が嘘とは思わないが、いくつかが事実なら返り討ちにされてるやつもいるんじゃないの

 

当時の目撃者や震災時に生き残った在日朝鮮人の取材を続け、2本のドキュメンタリー映画を世に問うてきた

ドキュメンタリー映画というが、目撃者等の発言がどこまで本当かわからないと思うが…

 

人は嘘をつきますよ。

 

関東大震災前後、以降にも地震はあったと思うが、それの話題が一緒に触れられない時点でどうなんだろう。

 

そして、韓国併合よりも前から幾度となく日本で地震はあっただろうし、海外から渡来した人はいるわけで…

 

内容が違うが記事には「一般市民が起こしたとは信じられない」の回答として

現代と大きく異なる時代背景を説明する

「震災があった1923年は、日本と清(中国)が朝鮮半島の支配を争った日清戦争終結からわずか28年。朝鮮半島が戦場になった日露戦争から18年。日本は優れた国だ、と国民に思い込ませていた時期に重なります。」

植民地支配の正当化と、朝鮮人をさげすむ態度は表裏一体だったと強調する。

感情論と、現代の韓国側の主張とする植民地支配の考え方を当時の日本人に押しつけてるだけなような…

 

在郷軍人が関わっていた資料があるらしい…うまいこと震災の被害にはあわず、各地で形成された自警団に参加できたってことなのかな

 

「反省なき教育」が戦争担った

 

自身も教職にあった後藤さんは

デマだったと教えない教師、事件に対する反省のない教育が、次の時代の戦争を担う世代を準備したのです」

 

関東大震災18年前が日露戦争終結から、震災18年後には太平洋戦争に突入する。この間、日中戦争が始まった37年には、震災時の小学1年生が成人を迎えている。

関東大震災って、日本全国で起こって朝鮮人虐殺とされている(したい?)事件も日本全国で起こったんでしたっけ???

 

 

他にも記事が長々とかかれているが…突っ込みどころが多すぎて…

 

 


wiki関東大震災朝鮮人虐殺事件の「自警団が竹槍で朝鮮人を殺している様子」の写真が合成にしか見えんけど…

 

よく日本人、朝鮮人って写真みただけでわかるなぁ

 

http://jobless-living.hatenablog.com/entry/2018/09/03/203211

 

 

以下は上記の毎日新聞の記事とは別にみてて感じたのとか

 

大阪市役所助役有田邦敬ありたくにゆき救護日誌

 

大正12年(1923) 本館蔵(小方敬子氏寄贈)
大阪市は、大正12年(1923)9月1日に関東大震災が起こると、翌日に有田邦敬 ありたくにゆき 助役をはじめとする市吏員10名を大阪商船シカゴ丸にて派遣しました。この資料は、派遣された有田自らが記した活動日誌です。出発当日は、朝鮮人暴動のデマや戒厳令施行など、わずかな「情報」しか入手できなかったことなどがリアルに記されています。日誌2頁目には、「 不逞鮮人ふていせんじんノ跋扈ばっこ」、「無電輻輳ふくそう」などの文字がみられます。

http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2011/tenjigae/110510.html

画像が荒くて読めなかったが、9/2の時点で朝鮮人暴動がデマだとわかっていたってことだろうか?

 

日誌2頁目には、「 不逞鮮人ふていせんじんノ跋扈ばっこ」と書いてあるが

現在ではデマであることがわかっているといいたい文章なんだろうか?

 

当時の山本内閣は9月7日に治安維持令を公布した。この戒厳令解除された11月15日までの東京・神奈川・埼玉・千葉の被災地1府3県民の市民的・政治的自由が停止した状態の中で、大震災発生直後の9月1日午後3時以降、東京や横浜などで「社会主義者及び鮮人の放火多し」・「不逞鮮人暴動」といったデマが発生していったが、デマの中には警察や軍が流したものもあった

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/関東大震災朝鮮人虐殺事件

有田邦敬の日記では9/2日には、戒厳令施行の情報があるみたいだが、上記の戒厳令とは別のがすでにあったんだろうか。施行するよの情報なんだろうか?

 

東京や横浜などで「社会主義者及び鮮人の放火多し」・「不逞鮮人暴動」といったデマが発生していったが、デマの中には警察や軍が流したものもあった[24]。これらの報道や伝聞に拠る噂に接し、不安を煽られた各地の民衆や有志によって自警団が結成された

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/関東大震災朝鮮人虐殺事件

当時の報道や伝聞ってそんなに瞬時に伝わるものだったんだろうか?

各一般家庭に新聞や電話?などの報道取得手段とか当たり前だったのかな?

 

 

有りもせぬ事を言触らすと、処罰されます。
朝鮮人の狂暴や、大地震が再来する、囚人が脱監したなぞと言伝えて処罰されたものは多数あります。
時節柄皆様注意して下さい

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大川常吉

当時のビラ画像?だと最後のひらがなの「い」以外のひらがなのフォントが違う気がするが、他は読みづらかったから再現したとかなのかね?

「い」だけは、漢字のフォントサイズやタイプが似てると思うが…

 

当時の流行りなんかな…改ざんしたものではなくて